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Web拍手、恥ずかしがりやなあなたに。

日常と思い出のお話。

やあ、ヤマグチジロウだよ。

シウ漫画『ドライブカー』が完結しました。
というわけなのでちょっとばかりのこぼれ話なんかを書こうかと思います。

こぼれ話といっても、作品について多く語ってしまうとそれは蛇足に感じてしまってあまりスマートではないと(僕が)思うから、関連した思い出話なんかをね、語ってしまおうかと、お付き合いいただこうかと。
あ、ちなみにタイトルの『ドライブカー』ですが岩瀬敬吾氏の同名曲からとっています。
深い理由なんかも特になく、ただ単にドライブしてるからという理由と、この曲が大好きだからです(ご本人のYouTubeアカウントなんてあったんですね貼り貼り)


さて、本題となる思い出話だけども、漫画の作中に「自分の及んでいない世界を確認した時のなんとも言えない気持ち」みたいなのをシウが語っている。この気持ちはもちろん僕が以前からずっと持ち続けているもので、同じ感情を抱いている人なんかも多いと思うのだけど、ではいつからこんなことを考えていたのか。そこについてちょっと掘り返してみようかな。

そもそも、漠然としたそういう気持ちはずーっと昔、幼少期によく遊びに行っていた従兄弟の家からほど近い公園で、従兄弟の友人と遊んでる時なんかにもなんとなーく感じていたりする気もするが、今回ははっきりと「あ、あの時はっきり感じたな」というエピソードがあるのでそちらのほうをお話ししよう。

時は中学時代。僕を含め5人のグループでとある街に来ていた。
班長のNくん、サッカー大好きKくん、重機大好きMくん、いもけんぴ大好きKくん……あ、Kくん2人いるね。まあ、いいや。そして僕の5人のグループだ。
中学校の軽いフィールドワークとでもいうのか、そのとある街で工場の見学をしたあとに地図を持って丘の上にある公園までグループで移動し、先生と合流して解散。といったような流れだった。
グループ分けに関しては元々そうだったのか、それとも5人で示し合わせたのか覚えていないが学校での班分けに倣ったメンバーだった。
どちらにせよ、僕たちは5人で示し合わせていたとしても違和感のないほどに仲が良かったのだ。

そんな仲の良い5人で知らない街並みを歩くわけなのだから、当然のように時間通りに上手く移動できるわけがなかった。
誰が言ったか「土地の神様に挨拶をしよう」と神社に立ち寄り、なぜかその神社に設置されてあった土俵でトーナメント方式で相撲をとり、もちろん禁止されている買い食いでコロッケを食べ、地元にはないいろんな建物に目を移してはペラペラと喋りタラタラと歩いていたら、いつの間にか集合時間に迫っていた。

本来であれば、目的地の公園に着いたら先生と連絡を取って合流するという流れだったが、集合時間が迫った今、僕ら5人がとった行動は「間に合うか分からないがとにかく連絡だけはしておこう」という今考えるとめちゃくちゃなものだった。
その場で目に付いた公衆電話からNくんが先生の携帯電話に電話をする間、他の4人でどうやって目的地に行くかを話し合った。正規のルートでいけば15分はかかってしまう。身銭を切ってタクシーを使うか……一同は身構えたがそこは幼少期よりドケチを貫いてきた僕が許すはずもなかった。「中学生とはいえ5人でタクシーに乗るのは2台使わないと無理だ」ともっともらしい意見を述べてひとつの提案をした。
正規のルートである道は大きな県道を沿って住宅街を迂回するルートであり、住宅街を突っ切って進めば時間ギリギリで丘の上まで着けるのではないか。

2台のタクシーを確保しお金を支払って安全な道を辿るか、たどり着けるかは分からないルートを使って自らの脚で進むか。天秤にかけた結果、僕らは後者を選んだ。
こうして僕らは道なき道を歩いた。本来ならこの表現は草木を分けて進む時に使うものかも知れない。だが僕らが進んだ道なき道は、住宅街の塀と塀の間や畑の隅など生活感に満ち溢れた場所だった。倉庫の脇を通り抜け、ようやく舗装された道に出た。道の行く先には坂道が続いている。
坂の上は木々に覆われて見えなかったが、そこを抜けた先にあると考えられるものはひとつだった。僕ら5人は安堵の表情を浮かべた。念には念を入れ、すれ違うお婆さんに「ここを登ったら○○公園ですか?」とNくんが訊ねた。お婆さんの答えは僕には聞こえなかったが、それを聞くやいなや「ありがとうございます!」と礼を言い、Nくんは走り出した。きっと肯定の意味だったんだと察した残りの4人は、その後を追って走り出した。

坂道を走り抜けると開けた場所に出た。どうやら目的地の公園のようだった。
とりあえず目に付いたベンチに座り息を整えていると、丘の頂上の広場に着いても姿が見えなかったので降りてきたという先生がやってきた。
「あ、もっと上に広場あったんですかー」と、さもずっとここに居ましたよという風に答えた僕らに先生は何の疑問も抱かなかったようだ。
こっそり時間を確認すると集合時間を2分過ぎたところだった。
大きな賭けに勝った僕たちは公園でひとしきり遊んだあと帰路についた。

とまあ、ノッてしまったので最後まで書ききってしまったけど、問題の「自分の及んでいない世界を確認した時のなんとも言えない気持ち」を感じたのは住宅街を横切って目的地を目指したところ。
見たこともない土地でそういう風な裏道を使っている時に「あ、でも地元の子供たちはこういうところも平気で通ったりするのかな」と、そう思うとその住宅街の生活感というのがよりいっそうに際立って見えたんですね。そのときの僕たちは非常事態で使っているが、地元の子供たちは少しでも早くと公園を目指して日常的に駆け回ったりしているのではないかと思うと、自分の生活と重なりなんだかノスタルジックを感じ、同時に今回シウが思ったような悔しいようななんともいえない気持ちが浮かび上がってきたというわけです。

しかしこの感情、『それでも町は廻っている』通称それ町の1巻でお話の中に早々と出てきてるんですね。
これを読んだ時の(というかそれ町のテーマ自体にも)衝撃たるや形容しがたいものであり、後のシウ漫画にも繋がってくるのですが、いずれまたの機会に。
だとしても、この感情についてはいつかちゃんと書いておこうと考えていたので、それ町で出てきていると知りながらも今回テーマのひとつとして扱ったという、そういう経緯になります。まあ、取るに足らないことではありますが。

えー、前回から「だーっと書くことにしたぞー!」という当ブログですが、だーっと書くと落としどころが難しいよねえ。
という、落としどころということで……。

by biryou-sanso | 2015-07-30 17:39 | 未分類

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